花のうた

日記

【エッセイ】花にはならない

花が好きだ。穏やかさの象徴のようなものだと思っている。可憐で儚くてそれでいて力強い。美しく、愛される、誰かのためのものだ。

 

小さい頃から花やら木やらが好きな子供だった。祖母が庭を大切にする人だったからだと思う。家には花が咲いている事が当たり前だった。最近は机に花を買って来て飾る事も多い。庭は母が引き継いで世話をしている。花は私の生活にあるものだ。花を買いたいと思う時に花を買って帰る道は楽しい気分で歩ける。花瓶を選んだり、水をかえたり、水切りをしたり、そういういちいちの動作が穏やかな気持ちにさせられる。花が好きだ。私は花じゃないから。

 

ところで私の本名は○○か、という音で、その音には「歌」の字がついている。

そして私のペンネームは○○か、という音で、そこに私は「香」の字をつけた。

 

私についた名前には、花はどうにも似合わなくて、花らしく私は生まれついていない。そう思うのは、私が花を好きすぎるからなのかもしれない。だって花は、何の穢れも無い、あの愛しさは、いとけなさに似ている。花を手にした時に浮かぶ微笑みは、もしかしたら赤ん坊を抱く時に似ているのかもしれないとすら思っている。花はアルカイックスマイルを浮かべている。そんな事すら思うのだ。

 

花が好きな理由は多分もう一つあって、シシリー・メアリー・バーカーのフラワーフェアリーズがわたしはずっと好きで、子供の頃からその愛蔵版の本を抱え続けている。愛らしい見た目の妖精たちと、言葉が弾んで転がるような詩。先の、花はアルカイックスマイルを浮かべている、と思っている原因がここにあるのかもしれない。フラワーフェアリーズの花の妖精たちは、ちいさな子供の姿をしている。

 

花が好きなのに、私は多分、花に劣等感を持っている。私は花じゃない。誰にも愛されたりはしない。そんな風に。暫く心身の調子が悪くてこんな事を強く思っているのかもしれないけれど、一度思ってしまうと消えないもので、だからいつまでもこの劣等感は私を縛っていく筈だ。だけど、それでも、私は花が好きだった。華やかな薔薇が好きだ。優しい色のチューリップが好きだ。オオイヌノフグリの小さな青が地面にあるのを見つけると嬉しくなる。芙蓉を見れば美人だと思うし、地面の金木犀を見れば自然と顔は上を向く。大きな松を見れば嬉しくなって写真を撮り始める。私はそういうものを愛しているから。

 

私が大切にしている素敵なものは長く星と言葉と花だった。灯りや匂いが最近加わったけど、つまりは花がとても好きなのだ。だって愛してしまったのだ、あの柔らかい花弁の重なりを。花って素敵だと思う。見れば、気持ちが和らいで、穏やかになる。仄かな香りを嗅いだ時に、妖精の歌を聞いた気になれる、私の読書体験も含めて、私は花が好きなのだ。

 

花に負けない人になりたい、とは、思わないけれど、花に不釣り合いだとは思われたくない。私なりに、私の形で、私の人生を花好きにと過ごしていきたい。そう思っている。