花のうた

日記

さいわいの欠片

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2023.9.11

部屋に「銀河鉄道の夜」のコーナーを作ってみた!ベッドの頭上くらい。フェリシモの紅茶の箱と、ポストカード、フェリシモの紅茶についてきたカードのしおり、文豪クリームソーダのしおり、文豪クリームソーダのブックカバーをポスターみたいにして飾ってるもの。フレームを作るのには結構手間がかかって、水彩絵の具やインクだけでは弾くから、まずアクリル絵の具を塗って、その上から銀河鉄道の夜のインクを塗って、その上にラメ入りのクリアネイルを塗った。けっこう、お気に入り。

 

銀河鉄道の夜」は中学の頃?に、表紙が好きで手に取ったのが最初。集英社の、「テガミバチ」の浅田弘幸さんが表紙のイラストを描いていたもので、単純にイラストが綺麗だから手に取って、そのまま買って(もらった?)ように思う。その時は、ぱらぱら読むくらいで、読み耽ってはいなかった。

 

大学生になって、「銀河鉄道の夜」を少しだけ研究する事になった。花巻にも行ったし、「銀河鉄道の夜」もさんざん読み込んだ。この時はテキストみたいに思っていたから、この時も、読み耽ってはいなかったと思う。

 

いつ頃からこんなに好きなのかはわからないけど、「銀河鉄道の夜」はわたしにとって必要な物語だった。死んだら棺に入れてねと頼んである。わたしはこの本をもって黄泉路を歩くのだ。それくらい、大事にしている。

 

わたしはとくにプリオシン海岸のシーンが好きで、輝くようなすすき、「白鳥の停車場」、水晶の砂浜、遠い時間の向こう側のくるみたち。全部大地のもので、「銀河鉄道の夜」はあんなに星の多い銀河を走っている物語なのに、何よりも大地が美しく書かれている気がして、そういう所が好きだった。

 

ところでわたしは「文豪とアルケミスト」というゲームが好きで、これは名前に入ってるくらいなので、文豪が転生して本を守る、というのがおおまかな流れのゲームで、とくに好きな文豪は他にいるんだけど、ここに宮沢賢治がいる。幼い子供の姿で、裏地が星空の外套をかけている。「銀河鉄道の夜」の作者の面のつよいような、そんなキャラクターだった。

 

その、宮沢賢治を主人公にして、スピンオフのような小説が小説新潮に掲載された。小説新潮の2023年11月号、川端ジュン一という作家の、「おやすみ、カムパネルラ」という題の小説だった。川端さんは他にも「文豪とアルケミスト」のノベライズを書いてくれていて、世界観に信頼のある方だったので迷わずに小説新潮を購入した。だって絶対に、これは「銀河鉄道の夜」の作者である宮沢賢治の話だったから。

 

「おやすみ、カムパネルラ」は、畑に実ったトマトの描写から始まった。その描写の丁寧な美しさで、わたしはすっかり嬉しくなったし、大事に本棚に収めていこう、と思った。その先の物語も好きな話で、やっぱり、大地が美しかった。わたしの思い描く「銀河鉄道の夜」の世界が、同じ視点で咀嚼されて、飲み込んで、文章にされていた。それが凄く幸せだった。わたしと同じようにあの世界を楽しんだひとがいるんだなって思えたから。

 

銀河鉄道の夜」はきっとずっと好きなままに生きていくんだと思う。あの海岸をできるなら歩きたいけど、一人旅にはちょっと綺麗すぎて寂しそうだなとも思う。だからって誰かと歩くつもりもない。砂を蹴って、水辺に立って、美しい大地を眺めて、そんな最期ならとても良いものだろうなあ。まだ、死ぬつもりはないから、いつかの話だけど。そんな時まで、抱えて生きていくんだろうなあ。ずっとあの本を持っていたいなと思う。

 

ほんとうにさいわい、は、きっと誰かが持ってるものだ、とわたしは解を出していて、きっとわたしの手にも誰かのさいわいを掴んでいて、それを渡しあえれば素敵だけど、どうだろう。だれかひとりのさいわいじゃないかもしれない。だれかたちに、ちょっとずつ、分けていくさいわいなのかもしれない。そういう人生ならそれも素敵。それにわたしは、確かにあの本から、そういうものを貰ったから。賢治の手にはたくさんのさいわいがあったんだろうなあ。その欠片を貰ったから、わたしは今こんなふうに小説を書いてるんだろうな。

 

冬になったら温かいミルクティーを持って星空を眺めたい。どこかに銀河鉄道が走ってるのを見つけたら、あったよ、って言いたいね。