花のうた

日記

【エッセイ】秋になる

着替えをして、化粧をした。ずっと着てみたかったブラウスとスカートの組み合わせは想像していたような可愛さではなかった(私のせいかもしれないと思うのが嫌だった)。化粧をした自分が可愛いとも思わなかった。この頃ずっとそうだ。短い髪もまるで似合ってないように見える。誤魔化すように髪をヘアバンドであげて、眼鏡をかけて、言い訳を作ってから、私は窓を開けた。風が涼しくて、いっそ寒い程だった。秋が来たのかな、と思った。

 

紅茶と、文庫本。文庫本は江國香織の「神様のボート」だ。それから音楽はみきとPの「MIKIROKU」というアルバム。それが私の春の持ち物だった。それだけあれば、私は春、晴れた朝のベランダで、ゆったりと自分を取り戻す時間が過ごせた。あれだけあれば、きっと私は、どれだけ心が荒んでいても良い一日を過ごせるようになる。でも今は、もう、春じゃない。

 

過ごしやすそうなベランダで、私は音楽をかけた。有機酸の「カトラリー」を聞いた。文庫本は、結局迷った末に「神様のボート」を開いた。紅茶はルイボスティーだ。確かラズベリーとレモンのフレーバーで、なんだかのど飴みたいだな、と思った。そうしたら、数行、読むのが精いっぱいだった。眩しすぎた。朝陽が強くてとても目を開いていられなかった。八時くらいの事だった。まだ涼しかった。秋が来たのだ、そう思った。途方に暮れてしまった。秋になってしまったのだ。そうとしか思えなかった。

 

どうも周りには秋が好きな人たちが多いらしい。私の文章の血脈をついでくれた方も、長年の付き合いのあるお友達もそうらしい。どちらもフォロワーさんだけれど、私にとっては大事な人たちだから、そういう人たちが秋を感じている姿にも焦燥を覚えてしまった。置いて行かないで、と思う。これは季節のものではない。今の私の混乱だ。

 

仕事を辞めたのは、前日、姉に相談していたら「そんな事で」と思った瞬間に涙が止まらなくなったからだった。姉は私を守ってくれた。仕事を辞めた日はラーメンとアイスを一緒に食べた。そこから、だいたい一ヵ月。私は今、双極性障害の波が鬱に傾いている時期らしい。辞めてしばらくはなんでもできるんだと楽しく過ごしていた。と言っても精神は摩耗していたので躁状態の中でも希死念慮にしつこく付き纏われていた、これは今も同じだ。時期も悪く、私はとにかく今焦っている。早く何かをしたい。早く何かをしなければ。早く何かできなければ。そういう風に。

 

色々あって文章を書く事も今は気が向かず、ただただ薬の副作用で眠気に負けていて、たまにしっかり起きていても希死念慮が強くろくに動けなくて、そういう日々を過ごしている。私の大切な人たちはどう過ごしているだろう。SNSを見るのも少し苦労する。仕事が大変そうな気はした。イベントごとを楽しんでいるようにも見えた。秋の空気を吸って、ブラウスを着て、過ごしているのだろうか。そこは、何か書きたいもののある景色なのかな。パソコンの前で呆然としてばかりいる私は遠く、見た事もない場所に思いを馳せる。

 

きっと彼女たちはこの秋の風に運ばれて月に足跡をつけるし、そこでどこかの海を探すのかもしれない、踊っているのかもしれない。それがとてもうらやましい。私は、この十月になった今この瞬間、目を瞑る事しかできない。

 

私も連れて行って、思うけど、声にする事なんてできないと思う。だって私は秋にいたい訳ではない。春になるまで、私にはずっと居場所がない。でも、そろそろ準備ができるから、私の生活も変わっていく。そこからどうなるのかわからないけれど、でも、春に。春になる頃、私が落ち着いて、ベランダで、わたしを整えて、晴れやかな気持ちで小説を書いていたらいい。そう思う。(思わないと、やっていけない。それは隠して。)